【日本史】個人的に好きな人物を語ってみた
こんにちは!高校生ブロガーのKAiTO(https://twitter.com/kaiton_ky)です!
今回の話題ですが、、、日本史です!
僕自身、大学受験科目の中で日本史が最も好きなんです。
用語を記憶するのが得意だったので、長い用語ばっかり覚えてました(笑)
例えば、蘇我倉山田石川麻呂だったり、県犬養三千代といった名前です。
ということで、今回は「好きな歴史上の人物を語る」という話題です。
今回語るのは、乱を起こしたことで有名な「平将門」を語りたいと思います。
平将門とは?首伝説とともに紹介!
こちらは平将門さんです。
まず、将門さんについて少し確認しておきましょう。
・父は平良将で母は県犬養春枝女(あがたのいぬかいのはるえのむすめ)
・死没は940年3月25日
・兄弟は7人程度おり、子も7人いる
・平将門の乱を起こし平貞盛と藤原秀郷により鎮圧
・死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社に祀られている
・様々な伝説が語り継がれており、大河ドラマにもなった(風と雲と虹と)
教科書では「東国の大半を占領して新皇と自称したが、同じ東国武士の平貞盛・藤原秀郷らによって討たれた」と書いてあります。
「新皇」というのは、文字通り天皇に代わる存在ということです。
あくまで自称「新皇」なのですが、関東の武士がここまで威勢を上げて宣言できるのは少し驚きですよね。
しかも将門さんは叔父である平国香を殺していますが、今では考えられないですよね。
その後、国香の息子である貞盛によって乱を鎮圧されます。
しかし将門さんは大河ドラマ「風と雲と虹と」で良い人間として描かれています。
官職を得られなかったことに不満を覚え、反乱を起こしたという意見がありますが、実際は、制度に対する不満があったことにより、反乱を起こしたそうです。
新皇と称したのも、朱雀天皇に対する不満があったのかもしれません。
僕はこういった類を見ない行動が将門さんを推す理由でもありますし、武士という新しい道を作りだした将門さんの考え方に尊敬しています。
さらに驚きなのが、将門さんについての伝説です。
いくつもありますが、最も有名な首伝説についてお話します。
スゴイ!首伝説!
伝承では、将門さんの首は貞盛・秀郷に討ち取られた後、平安京まで送られて晒されていたのですが、3日後に故郷に向かって飛んで行ったとされます。
今でも東京都千代田区大手町に首塚があり、昔は近辺の住民が将門さんの怨念によって苦しめられていたとあります。
嘘のような伝承ですが、怨念による(?)事件が起きています。
関東大震災後、大蔵省の仮庁舎を立てようとした際、工事関係者などが不審死を遂げたそうです。
さらには、GHQが区画整備のために撤去しようとしたところ、またもや不審死が相次ぎ、工事を取りやめたという話があります。
ちなみに首塚の境内には蛙の置物が多くあります。
「帰る」という意味で、迷った子供が無事に家に帰るようにするためだそうです。
今回僕は「おうち時間」ということもあり、Google earthで撮影をしました。
少し写真を載せますので、行った気分になって下さい(笑)
こちらは蛮社の獄で処罰された渡辺崋山が描いた鷹見泉石像です。
個人的に日本史の絵画史上最もイケメンだと思ってます。
しかし、渡辺崋山はモリソン号事件(日本人漂流民を送りに来たアメリカ船を砲撃)で幕府批判をしたことにより、蛮社の獄で刑に処されてしまいます。
ですが、こんな素晴らしい絵を残してくれた渡辺崋山に感謝ですね(笑)
ちなみに土方歳三もイケメンです!
おわりに
今回は日本史上最も尊敬する平将門さんについて書かせていただきました。
ここ数日勉強関連しか書いていなかったので、楽しかったです(笑)
また日本史に関する記事を上げていきます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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